京都市上京区 晴明神社。晴明桔梗の紋。五芒星ともいう。
晴明が念力で湧かせた井戸。
厄除桃。
旧一条戻橋。左にいるのは 式神。
安倍清明像。
「晴明公が、衣の下で印を結び、夜空の星を見て遠く天体を観測しておられる様子をあらわしています。」(参照:晴明神社HP http://www.seimeijinja.jp/guide/)
クスノキ。
新戻橋。
式神のように走る木。
リズ・ブルボーは
人間はみな 4つの傷を持って生まれてくるという
拒絶の傷 不正の傷 見捨ての傷 裏切りの傷
それに 侮辱の傷が加わることがある、と
もう何年も前のこと
転勤してほっとしたとき そこで集団的な抗議にあったことを思い出した
私は 動転しながらも 反省して
謝るべきは謝って 改善して いった
そして その後は 良好な関係を築くことができていくのだった
私が 不安で、だからこそ 自分のそんな気持ちを 無視して
慌てふためいて突っ走って 余計に 自信をなくして 空回りしていたときだったのだろう
同時に みんなにこう見て欲しいという「自己像」だけは しっかり持って
自分を縛っていた
自分の中心から 遠く離れていた
何よりも キチンとできていない自分を厳しく責めていた
「あのときは 最悪やったなぁ
なんで あんなんだったか 信じられんわ
ほんま どうにかしてた
今となっては ああ そんなことも あったなぁ って感じやけど」
で すむようなことが あのときは そうならなかった
まるで 生き死にがかかっているような悲壮なできごとだった
今 振り返ってみて 思うことがある
あのとき 私の「拒絶の傷」が 傷んだのではないだろうか?
「する・持つ」 に 関係のない 「ある」ことに関わる根源的な傷
「私は ダメな人間だ」「私は 価値のない人間だ」
「私は このままでは 誰にも愛されない」
それが 刺激されて 飛び上がったのだ
その後 関係が改善されて 私は このできごとを 封印した(と思う)
昨日 リズ・ブルボーの本を読んでいて
急に 思い出した
世を生き抜くために磨いてきた
有能さと 正しさの刀だけでは
対応できない局面だったのだ
そもそも 拒絶の傷を感じないために
正しくあろうと 有能であろうと 頑固に頑張ってきたのだから
もし そのとき GIVE UP していたら
そのあと 病気にならなかったかもしれない
しかし 私は 誰にも 怒りと 怖れと 自責と 孤独と 悲しみの 苦しさを
言わなかった(夫にだけ 相談して 彼のアドバイスが 私を助けてくれた)
それから 歯を食いしばって ひとりで
今まで磨いてきた刀を さらに いっそう 磨いたようにも思う
だから そのあと 病気になったのだろう
もっと 自分を愛しなさい
できるはずのないことを自分に課すのはやめてあげなさい
何かにつけて自分を責めるのはやめなさい
自分に やさしく
私の体の叡智は そう告げたのだ
その時の私に言ってあげよう
「NOを言われたことが なんぼのもんやねん
そんなことも あるわさ
でも そんなことで 真剣に悩む あなたが 大好きだよ
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